揖斐川町にて

昨日まで、会社のメンバー男9人(部署は色々)で岐阜県揖斐川まで山登り件観光に出かけた。

会社でお世話になっている方の実家が岐阜県揖斐川町にあり、ぜひ実家近くに遊びに行こうという企画を昨年の有志忘年会で話がされていたのだが、GW前半である4月30日~5月1日に実現したのだ。

4月30日はまず揖斐川へ向かう途中、安土城跡を観光した。もうお城は残っていませんが、今も残る石垣が、建設当時の壮観な城を想像させてくれます。石段1つ1つが大きく、当日の建設工事がいか大変な工事であったかを連想させます。石段の左右には羽柴秀吉宅等の屋敷跡があり、当時は巨大な屋敷群が建っていたであろうことが連想される。

一番てっぺんにある本丸跡や天主台跡を歩いたのち、信長長が自らの菩提寺として創建した摠見寺を見学。二王門や三重塔などが当時のまま残っており、本堂跡からは内湖(西の湖)がきれいに見えた。

お昼は醒井養鱒場内にあるマス専門料理店で食事。醒井養鱒場ではイワナやアマゴ、ニジマス、ビワマスが育てられ、釣って持ち帰りもできる。料理はますの塩焼きに天ぷら、あらい、甘露煮などマスづくしの料理で、金額はそこそこしたが堪能した。

その後、揖斐川町に向けて車を走らせるが、この辺りは「やな」と書かれたお店が多い。やなとは、梁漁(やなりょう)を売り物にした食事処で、梁漁とは、川の中に足場を組み、木や竹ですのこ状の台を作った(やな)という構造物を設置し、上流から泳いできた魚がかかるのを待つ漁法のようだ。

車で走り続けて揖斐川町に入り、本日泊まる予定の民宿での二次会用に酒を買い出し。その後、即身仏で知られる横蔵寺に向かった。即身仏とは衆生救済を願い、厳しい修行のすえ自らの肉体をミイラにして残したお坊さんのこと。山形にもあると聞いていたが、結構、いろんな場所に存在しているようだ。妙心上人という方のミイラだは1781年に生まれ、両親が亡くなった後、仏道修行のため巡礼の旅に出たのち、受戒され、洞窟で断食し、入定されたとパンフレットには書かれてあるが、印象的だったのは、37歳の若さで即身仏になったということ。

横蔵寺を後にしてついに宿に到着。宿では酒を飲みながらイノシシ肉の汁物やイノシシ、イノブタみそ漬けの炭火焼肉。イノシシはこの時期が最も脂の部分が多く、おいしいとのこと。イノブタも初めて食べたが最高においしかった。お肉をたくさん食べた後、さらにコシアブラ、タラの芽の天ぷら、アマゴの甘露煮、天ぷら、汁物と次々と料理がでた。特にコシアブラの天ぷらはこれまた初めてだったが柔らかくておいしかった。

たくさん食べすぎたため2次回用に酒やおつまみを大量に購入していたが、みんなこたつでぐったり。10時にはもう寝始めてしまう人もぽろぽろ。少し胃袋が落ち着いてから数名で12時くらいまでワインを飲みながら語り、寝床に着いた。

次の日は朝から小津権現山に登山。小津権現山は標高1,158mの山。最初の登りがきつく、みな息を凝らして登る。途中、何度か休憩を挟めて登頂。雨がぱらつく天気であったため、景色は少々いまいちであったが時折の晴れ間に見える景色はとてもよかった。名前は詳しくしらないが、色々なところに花が咲いていて、すれ違う方も白い花が咲いていたかを質問してきた。

9人の登山であったが、登山ド素人も多く、特に底がツルツルの靴を履いていた後輩は下り、滑りながら下山。。

道の駅「星のふる里ふじはし」にある藤橋の湯で温泉につかり、温泉の隣にある藤橋庵で天ざるそばを食べて満足。帰りに揖斐川が地元の会社の方が、実家裏に生えているたけのこを掘って持ってきてくれた。気遣いに感謝。

とても楽しいGW前半であった。

 

 

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この記事を書いた人

会社員。技術職。3児の父、共働き、単身赴任2年目。
技術士取得を目指す。
趣味は釣り、音楽鑑賞、読書、スポーツ(特に野球、サッカー、卓球、アメフト)、筋トレ、ブログ。
日常のたわごとから家族のこと、仕事のこと、書評、そして好きな音楽を紹介します。

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