18度の井戸水の話

アドラー心理学についての考察。

人は誰もが等しく経験する、客観的な世界に住んでいるのではなく、自分自身の興味、関心に 従って、世界を知るのである。このことは、アドラー心理学が原因論を採らないことの重要な根 拠になる。

例として 18度の井戸水の話がある。 また、井戸水は年間を通じてほぼ 18 度であるが、冬は暖かく、夏は冷たく感じられる。この 事態をどう考えればいいのか。年間を通じて計られる温度が一定であるということから、井戸水 の温度は本当は一定であり、それをある時は冷たく、ある時は温かく感じるのは「主観的」な感 覚として斥けなければならないのか。夏から冬になって井戸水は本当に温かくなったのか、と問 われれば、そうだ、と答えてはいけないのか。

過去の出来事においても客観の話ではなく、その出来事を詰めたいと感じるか、温かいと感じるか。これは「今」の、そして主観の話で、過去にどんな出来事があったとしても、そこにどんな意味付けを施すかによって、現在の在り方は決まってくる。

非常に前向きな哲学で納得できる話だ。

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この記事を書いた人

会社員。技術職。3児の父、共働き、単身赴任2年目。
技術士取得を目指す。
趣味は釣り、音楽鑑賞、読書、スポーツ(特に野球、サッカー、卓球、アメフト)、筋トレ、ブログ。
日常のたわごとから家族のこと、仕事のこと、書評、そして好きな音楽を紹介します。

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