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終わりを思い描くことから始める、とはスティーブン・R・コヴィーの7つの習慣のうち第2の習慣として掲げられている習慣だ。

正直、ここが自分の中で最も引っかかっている難しさを感じる習慣だ。自分のいわばGOALを先に考えて自分の普段の行動を見つめるということだろうが、終わりを思い描くのは難しい。

自分の葬儀の場面を思い描いた時に感じたこと、考えたこと、何だろう。

ありふれた人間のうちの1人であることは間違いない。立派な方は一杯いる。こんな人間でありたいなと思った方や先人はいる。

自分の場合、尊敬する人はどんな人なんだろうと想像していくところから掘り下げていくべきなのだろう。もちろん同じような経験ができるわけでもない。ただ道を切り開いていった人たちである。

翻って身近な人の死をどう感じていただろうか。

うちの父親方の御祖父さんと病院で最後に会話を交わした時、話をはっきりすることもできない状態にあった。コーヒーが飲みたいと言っていたことはわかった。自分に伝えたことをしゃべっていたのだが、聞こえなかった。うまく聞き取れなかったことをはっきり伝えられず、わかったふりをして頷いていた。御祖父さんはそれに気づいたのだろう、少しがっかりした様子だった。それが今でも気がかりだ。父親方の御祖母さんも御祖父さんもよく覚えている。

母親方の御祖母さんは健在だ。御祖父さんは亡くなられたが、まだ元気な時、長生きしてください、と伝えた時、涙を流してくれた。こんなにも孫に言われることがうれしいのか、と驚いたのだが。

父親方と母親方の叔父がそれぞれ亡くなった。2人ともよく覚えている。父親方の叔父は厳しい人だった。その厳しい人が御祖母さんが亡くなった時、一瞬涙を流していたその瞬間を覚えている。叔父さんは腎臓を悪くし、御祖母さんから片側の腎臓をもらい移植手術した経緯がある。

うちの父はみんないなくなったと寂しがっているのだ。1つの家族だったうちの残り1人、というのはなんとさみしいことなのだろうか。もちろん子供達、である自分含めて親族はたくさんいるのだが。

母親方の叔父さんも腎臓を悪くした。透析もしていた。亡くなった後、連絡をもらった。叔父さんはとてもやさしい方だった。娘3人で、息子がほしかった、自分のような息子がいてくれたらよかったのに、と言っていた。若い時は溌剌として元気だったが、年を取るにつれて消極的になってきたように思える。愚痴も増えてきた。

叔父さんからは優しさを教わった。優しさ、というのは並大抵な優しさではない。本物の優しさだ。子供の頃、遊びに行く時、自分含めてみんな兄弟は甘えさせてもらった。自分は兄にいじめられたりするとすぐに母さんと呼んでいたようで、それを御祖母さんに怒られていたこともあったが叔父さんに責められたことはなかった。いつもこの1人がいると安心すると感じることができる優しさだ。

家族の中でたった一人でも優しさを抱いた人がいるとその家族は変わる。そんな力を持っていた方だった。御祖父さんが亡くなった時の葬儀の挨拶の時、蓮の花のように天国へ逝った、という表現をされていた。御祖父さんは周りに迷惑をかけることもなくある日の朝、亡くなったのだ。

人は病気になるととたんに弱気になり、戸惑ってしまう。母や健康であればこそ、人生どうにでもなる、と励ましてくれる。

終わりを思い描くことから始める、とは残酷なような気がするのだが。

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