求心性と遠心性を備えことが真の意味で人を育てること

企業を測る物差しは売上だけではないが、やはり一代で年商何百何千億円となると、偉業と言わなければならない。そして、そういう経営者には、共通した要因があることに気付くのである。

それは、自分の生き方、リーダーとしてのあり方などについて、これでいいのかという問いを絶えず持ち、自己を掘り下げて磨く。これが求心性である。求心性によって体得した心境や世界。それを幹部や部下などに及ぼし、自分のレベルまで引き上げようとする。それが遠心性である。

だが遠心性を発揮すれば必ず抵抗に出合う。そこで諦めてしまえば企業のダイナミズムは失われる。経営者の向かう方向に社員を向かわせる。「自分と一緒に歩んでいこう」と社員に対して言える。求心性と遠心性を併せ備えた経営者が、企業を発展させることができるのだ。そして、それこそが真の意味で人を育てることなのである。

人を育てるとは別の角度から言えば、環境によってつくられるのではなく、環境をつくる人になる、ということだと言えよう。

「環境が人を作るということに囚われてしまえば、人は単なる物、単なる機械になってしまう。人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる所以がある。自由がある。すなわち主体性、創造性がある。だから、人が偉大であればある程、立派な環境を作る。人間が出来ないと環境に支配される」安岡正篤師

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