1.それでも日本人は戦争を選んだ
この本を読んで初めて世界現代史のおもしろさを知ることができた。歴史家はすごいと思った。
加藤先生は、東大の教授で、文学部の学部生や大学院生に日本近現代史を教えています。この先生が「中学高校生向けを相手に講義をする」という形の叙述となっているため、私のような無知な人間でも非常にわかりやすい内容になっている。社会人として講義を受けているような感覚にもなり、読んでいて楽しい。
この本では「日本近現代史を考える」、「日清戦争」、「日露戦争」、「第一次世界大戦」、「満州事変と日中戦争」、「太平洋戦争」に章分けされているが、最初の「はじめに」の中で先生の日本近現代史への考えや思いがつまっているように思える。
先生の専門は現在の金融危機と比較されることも多い1929年の大恐慌、そこから始まった世界的な経済危機と戦争の時代、中でも1930年代の外交と軍事。
この1930年代の教訓とは何かとすぐに答えられますか?と先生は問う。私は全くわからなかったが、2つの点から答えられると説明している。
・1937年の日中戦争の頃まで当時の国民はあくまで政党政治を通じた国内の社会民主主義的な改革(例えば、労働者の団結権や団体交渉権を認める法律制定など)を求めていた。
・民意が正当に反映されることによって政権交代が可能となるような新しい政治システムの創出を当時の国民もまた強く待望していたということ。
しかし戦前の政治システムの下で、国民の生活を豊かにするはずの社会民主主義的な改革への要求が、既成政党、貴族院、枢密院など多くの壁に阻まれて実現できなかった。その結果、社会民主主義的な改革用きゅは既存の政治システム下では無理だということで、疑似的な改革推進者としての軍部への国民の人気が高まっていったということ。
このことは、国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を疑似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないとの危惧であり、教訓であると。
であれば、現在における政治システムの機能不全とはいかなる事態かと問う。
現代も歴史の1部である。近代歴史からから学ぶことは多いと感じる。
2.名参謀 黒田官兵衛
日本の歴史の中でも戦国時代だけは好きだったつもりだが、それでも知識が浅い。
無数の武将たちが天下の覇権を争い、明日をも知れぬ死闘を繰り広げていた。
数ある武将の中でも軍師と名の付く謎めいた存在、真田幸村、山本勘助、竹中半兵衛などが知られるが、かれらの軍師としての戦歴は定かではないようだ。
ただひとり播磨の黒田官兵衛のみが、軍師としての事績がはっきりしている。
官兵衛は豊臣秀吉の補佐役として抜群の働きをみせ、調略、つまり敵将との話し合いで多くの城を無血開城させ、数千数万の城兵たちの命を救った。
この本から黒田官兵衛の目線で戦国時代を見てとれる。
業績に対して、高いとは言えない評価を受けながらも我慢強く戦いぬいている。
乱世で妻子を守りぬくことは難事であった。あの徳川家康でさえ、信長の下命に従って妻と息子を見殺しにした。というより、自分の手を汚して妻子を討ち果たした。
日本史に名を残す苛烈な信長、秀吉、家康に比べ、官兵衛の生き方は真っ当で毒素が薄い。
人を死なすことを極端に嫌がり、何とか話し合いで犠牲を少なくしようとした。
女性への崇敬を失わず、朋友や部下への思いやりも忘れなかった。
羽柴秀吉の軍師となった黒田官兵衛の毛利軍との戦いを中心とした活躍ぶりをこの本では描かれている。
難しい語彙も多く含まれているがとても読みやすいのでお勧めしたい。