1.小さな人生論

月刊「致知」の総リードをテーマ毎に編集し、創刊25周年を機に上梓した一冊。
人生をどう生きるのかの問いかける内容となっていて非常に感銘を受けた。
ふとした時に読んで気持ちを高めたいと思わせる。今後人生において何度も繰り返し読みたい本である。
言葉の力を感じる。過去からの賢人たちの教え、名言を凝縮した人生論と言える。

2.嫌われる勇気

アドラーはフロイト、ユングと並ぶ三大巨頭の一人とされる。もともとアドラーは、フロイトが主宰するウィーン精神分析協会の中核メンバーとして活躍した人だった。しかし学説上の対立から袂を分かち、独自の理論に基づく「個人心理学」を提唱する。

アドラー心理学は、肩苦しい学問ではなく、人間理解の真理、また到達点として受け入れられている。しかし時代を1000年先行したとも言われるアドラーの思想には、まだまだ時代が追い付きれていない、と言われている。

ではアドラーの思想とは何なのか。この本の中で、悩める青年が人は今日からでも幸せになれる、と説く哲学者のもとを訪ねその真意を問いただすところから会話が始まる。哲人がアドラー心理学を会話の中で説明していくのだが、重要だと感じた言葉を以下に抜粋する。

・過去の原因にばかり目を向け、原因だけで物事を説明しようとすると、話はおのずと「決定論」に行き着く。すなわち我々の現在、そして未来は、全てが過去の出来事によって決定済みであり、動かしようのないものである。
・アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考える。我々は原因論の住人であり続ける限り、一歩も前に進めない。
・トラウマは存在しない。明確に否定する。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。我々は自分の経験によるショック いわゆるトラウマに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけだす。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」
・我々はみな、なにかしらの「目的」に沿って生きている。それが目的論である。
・トラウマは存在しない。我々は自分の経験によるショック いわゆるトラウマに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけだす。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。我々は過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分である。
・我々はみな、何かしらの「目的」に沿って生きている。これが目的論である。
・人は怒りを捏造する。相手を屈服させ、自分のいうことをきかせるため、その手段として怒りという感情を捏造する。
・言葉で説明する手順を面倒に感じ、無抵抗な相手をより安直な手段で屈服させようとした。その道具として、怒りの感情を使った。
・怒りとは出し入れ可能な「道具」である。
・我々は環状に支配されて動くのではない。そしてこの「人は感情に支配されない」という意味において、さらには「過去にも支配されない」という意味においてアドラー心理学はニヒリズムの対局にある思想であり、哲学である。
・過去にどんな出来事があってとしても、そこにどんな意味づけを施すかによって、現在のあり方は決まってくる。
・大切なのは、何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。
・純粋な意味での「悪=ためにならないこと」を欲する者など、一人もいない。
・ライフスタイル(人生における、思考や行動の傾向)が先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるのなら、再び自分で選び直すことも可能なはずである。
・アドラー心理学は勇気の心理学である。

まだまだこの本の書評は付け加えていくが、こんなことを考えた人が過去にいたのだと感動した素晴らしい哲学であるし、この本は会話を通して理解を深められるので、読書をお勧めしたい。

3.方法序説

デカルトは「この序説で自分がどういう道をたどってきたかを示し、1枚の絵のようにそこに私の人生を描」こうとしている。その意味で、かれの精神の歴史と展望を語っているという一貫性がある。

この書が訴えているものが近世哲学のはじまりとなる数々のマニフェストを表明していることは間違いない。

自分の人生をふりかえってみるとき、幼いころの出来事や学校で学んだことなどが懐かしく思われるものである。

自らの原点をそこに見出すからであろう。

序説は次のような文章ではじまる。

「良識はこの世で最も公平に配分されたものである」

良識とは「よく判断して真と儀とを区別する能力、すなわち本来理性と呼ばれているもの」のことである。

「だれでも自分は良識を十分に備えていると思っている」ので、「それはすべての人において生まれつき平等である」と言えるとしている。

「わたしたちの意見が分かれるのは、ある人が他人よりも理性があるということによるのではなく、ただ、わたしたちが思考を異なる道筋で導き、同一のことを考察していないことから生じるのである。というのも、良い精神を持っているだけでは十分でなく、大切なのはそれを良く用いることだからだ。」

子どもの頃、なぜ正しい道、真理は1つだけなはずなのに、皆が意思を統一することができないのか。政治の世界では派閥なるものが存在していることが不思議でならなかった。

もちろん、人は知識、知見がなく、判断を誤ることもあるのだが、政治家達が議論し合い、決議されるべき結果は正しい道、真理であるはずなのに、派閥とはどういうことなのかと子ども心に思った記憶がある。

そして次のような文章につながる

「大きな魂ほど、最大の美徳とともに、最大の悪徳をも産み出す力がある。またきわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながら道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。」

人間は国籍や時代にかかわりなく、みな同じ高度な知性を内に持っている。それが精神であり、理性である。

めいめい努力してそれをうまく使用すれば共通理解が得られるはずである。ところが、その努力をせずに自己主張ばかりするところからさまざまな問題が起こる。

人にはそれぞれ独自の感性やものの考え方があろうが、他社とのコミュニケーションの場ではやはり理性が基本であり、理性を導く方法が必要である。たとえば、異文化の理解や他者との共生においては、お互いに自他の違いを認め、たとえ多様であっても、ともかく人間に共通に与えられた理性を使って問題を処理するしか他に手はない。

こうして自分なりの方法論を確立することが重要であるとの考えになる。

方法序説の中でデカルトは学校で学んだ諸学問の吟味している。つまり学校で学んだ諸学問が当初期待したような確実な認識を教えず、確実で人生の役に立つ学問こそデカルトが求めていたものである。

では確実とは何か。デカルトは「1つのことについては真理は1つしかない」という信念があった。逆に言えば、同じことに関して多様な意見が多出することは真理に達していないことの証拠である。

確実とは、だれが見ても明証的にそうだと言えること、疑いを差しはさむ余地のない真理ということである。

さしあたって数学の推論が確実だと考えられる。数学は明証的な直観と確実な演鐸による体系だからである。

いずれにせよ日常の生活や実学に結び付く学問が最終的に目指されている。

こうして真理を導く方法論としてデカルトは4つの規則を設けている。

1.偏見や即断を避け、明らかな真だけを受け入れる。

2.難しいことは分けて考える。

3.単純なことから順序立てて始める。

4.見落としがなかったか確かめる。

こうした方法論は普段の生活、ビジネスでも求められる。結果として要求されるものが何か。過去に似たものとしてどんなことがあるか。相手が要求している水準に達するためにはどういう手段、方法を用いれば実現できるか。これを極めて理性的に考える。

またいくつかの格率が示されるが、最も影響を受けた言葉は以下だ。

「世の中の秩序を変えようとするのでなく己の欲望を変えよ」

運命じゃなくて自分に勝つ。優秀な人間は環境に不満を言わない。

こういった考えが大切なのだと実感する。