人間がやることである以上、完全な平等主義や能力主義はあり得ない。しかしすべてが不平等で理不尽というわけでもない。
ビジネスマンは、急流を下る一人乗りのカヌーの漕ぎ手のようなもの。急な増水で肝を冷やしたかと思えば、一瞬の判断の遅れで岩をよけ損なったり、しばし流れの穏やかなところで一息ついたり、思わぬところで魚が向こうから飛び込んできたりするという幸運もあるだろう。
命からがら漕ぎ切って、河口から雄大な大海を見渡す気分は壮快であるに違いない。しかし、どこまで漕いでいけるかは誰にも分からない。決まっているのは、カヌーに乗り込んだ以上、漕ぎ進むしかないということだ。
刻々と変わる状況のなかで今日一日事なきを得ながら、自分はまだこの先の景色を見てみたいのかどうかを、自らに問い続けるのである。
<会社とは不条理なもの>
東芝の不祥事について日本社会を揺るがしたが、「名門企業ともあろうものが」と愕然とした人もいれば、「さもありなん、どこでも似たようなものさ」と受け取った人もいただろう。良くも悪くも、それがその人がにとっての事実なのである。
巨大な不正会計の背後には、事業の選択と集中が引き起こした熾烈な派閥抗争と、生き残りをかけた利益至上主義があったとされる。何も東芝だけの話ではない。脱税、わいろ、利益水増し・・・。もちろんそれは承知の上で本質論を書くと、会社とは本来、「まともな存在」である。
そして経営者や社員は、そのまともな姿を保つべく日々努力していくものである。そのような王道を歩んでいる企業や経営者が多く存在するのも事実なのだ。
この会社に入ったことは間違いではなかったのか、この仕事は続けていく価値のあるものか、そうしたことを悩んでいる人は少なくあるまい。
会社では日々、理不尽なことが起きる。昨日「右に行け」と言われたかと思えば、今日は「左に行け」と言われる。がんばった者より何もしなかった者が得をすることもある。妙な人事もあれば左遷もある。人事も決裁も人間がやることだから、間違いもあれば好き嫌いも影響する。
・・・上司の心得 佐々木恒夫