八紘一宇(はっこういちう)

「世界界を一つの家にする」を意味するローガン第2次世界大戦中に日本の中国,東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた。日本書紀』のなかにみえる大和橿原に都を定めたときの神武天皇詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為 (六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き,八〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす) あることを根拠に,田中智学が日本的な世界統一の原理として 1903年に造語したもの。 40年第2次近衛文麿内閣が「基本国策要綱」で東亜新秩序の建設を掲げるにあたり,「皇国国是は八紘一宇とする肇国の大精神に基づく」と述べ,以後東亜新秩序の思想的根拠として広く唱えられた。

<例文>
戦争が大陸部から太平洋一帯に飛び火していて、ぼくはゲートルを巻き、カーキ色の制服に戦闘帽でショウ学校にかよっていた。国民精神総動員、とか、八紘一宇、とかいう標語が街に濫立し、ぼくたちは将来の戦闘要員として軍事教練を仕込まれ、飛行機や兵器に勤労動員され、授業は形ばかりのものになっていた。・・・ぼくの猿 ぼくの猫(色川武大著)

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