二十六夜(宮沢賢治)

二十六夜
旧暦六月二十四日から二十六日までの三日間に、北上川沿いの松林に住む梟の群に起こった出来事が書かれています。梟の坊さんが経文を読み、そこに集まった梟たちに説いて聞かせます。お経の内容は、弱肉強食の世界で梟である我々は、この悲惨な世からどうやって救われるのか、といったことです。

みな坊さんの話を聞きながら梟たちはおろおろ泣いたり感心したりしている。その中に梟の3兄弟があり、そのうち2疋はやんちゃで言うことを聞かない。残りの1疋はおとなしく穂吉という。

二十五日の昼、梟の3兄弟のうち、最もおとなしい穂吉が子供につかまり、足を折られてしまう。二十六日の夜、梟たちは穂吉を坊さんの梟のところへ連れてゆき、彼がお説教を聞きたいという最後の願いをかなえてやります。

月が昇り紫雲がたなびくその中に捨身菩薩の姿が現れたのです。何ともいえない良い香りがただよっていたかとおもう間もなく、いつの間にか菩薩の姿も消えて月だけがこうこうと輝く中で、梟たちは穂吉が冷たくなっていたのを知りました。穂吉はかすかにわらったまま、息がなくなっていたのです。

 


<感想>

仏教の要素が強く、童話にしては難解。最後の場面は銀河鉄道の夜に似た印象も持った。昔、銀河鉄道の夜をアニメで見て、不思議な感覚を覚えるのと感動したことを覚えている。宮沢賢治の世界をアニメで表現するとわかりやすくなる。本で読むと想像力が大事だと実感する。

宮沢賢治の仏教観も知りたくなった。梟の説教の内容が難しい。よくよくこれからも繰り返し読んで理解を深めたい。

「二十六夜待ち」という言葉があり、江戸時代、陰暦正月・7月の26日の夜、月の出るのを待って拝むこと。月光の中に弥陀・観音・勢至の三尊が現れると言い伝えられ、特に江戸高輪(たかなわ)から品川あたりにかけて盛んに行われた。

26日 二十六夜 にじゅうろくや 旧暦26日の月で、午前1時~3時頃にようやく出てくる この月を待つ「月待ち」の慣習があった
これを「二十六夜待」といった

このページも参考になります。http://cleanup.jp/life/edo/42.shtml

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