梅棹忠雄さんの「知的生産の技術」を読んだ。

この書籍が出版されたのは1969年。今からちょうど50年前である。

知的生産、すなわち知的情報の生産であるといった既存のあるいは新規の様々な情報をもとにして、それぞれの人間の知的情報処理能力を作用してそこに新しい情報を作り出す作業、この方法論を著している。

知識は教えるが知識の獲得の仕方はあまり教えられないものであることは現代でも同様だ。

50年前はタイプライターは出始めていたもののパソコンは社会にまだ普及していない。

メモの取り方、カードの利用法、読書の仕方から手紙の書き方までたくさんの具体的な実践方法が示されている。

梅棹さんの探求心溢れる知的生産の技術は今でも色あせない。

個人的には日記は自分のための業務報告、といった内容がとても参考になった。

自分自身にむかって提出する毎日の経験報告なのだと考えればよいという。

日記というものは自分自身にとって重要な史料なのである。あとからよみかえしてみて感傷にふけるだけではなく、あのときはどうであったかと、事実を確かめるためにみる、という効能が大変大きい、とある。

日記はネット上では今でいうブログのようなものだし。人に見せることに自信がない自分にとってはこのような意見はありがたいという気持ちである。

様々な実践例は参考になる。創造的な知的生産を行うための実践的技術を現代でどう考え、工夫をこらすか。問われる。

梅棹さんの以下の言葉を心に刻もうと思う。

受け身では学問はできない。学問は自分がするものであって、だれかにおしえてもらうものではない。実行が肝心である。実行しないで、頭で判断して、批判だけしていたのでは、なにごとも進展しない。どの技法もやってみるとそれぞれにかなりの努力が必要だ。安直な秘訣はない。自分で努力しなければうまくゆくものではない。