来年、技術士資格の受験を受けるべきか悩んでいる。

今年は落ちたのだが、今回は技術士資格を持っているご年配の方に添削していただいたおかげでそれなりに論文を書くことができるようになったのだが、その方が定年で退職された。

来年、は身近に添削してもらえるような人がいないので、外部の試験講座やセミナーの受講も考えているが、ちょっとしたことでも相談できる人が身近にいればなとも思う。

そこで兼好法師の「徒然草」にある以下の話である。

仁和寺にある法師、年よるまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩よりまうでけり。

極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて
「年ごろ思ひつること、はたし侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

すこしの事にも、先達はあらまほしきことなり。

訳は以下のとおりだ。

仁和寺というお寺にいるお坊さんが、をとるまで石清水八幡宮という有名なお寺に参拝したことがなかったので、い立ってひとりで参拝してみます。

石清水八幡宮は山の上にあるのですが、のお坊さんはふもとの極楽寺や高良というお寺に参拝して、れが石清水八幡宮だと勘違いして帰ってしまいました。

帰ってから同僚のお坊さんに

「長年八幡宮を拝みたいと思っていたのを、いに達成しましたよ。聞いていた以上に尊かったです。しかし、参拝していた人がみんな山に登っていたのは何かあったんでしょうかね?
気になったんですけど、お参りすることが本来の目的なんで、山までは見ませんでした」

と話したのだそうです。本当は、みんな山の上の八幡宮に参拝していたのです。

そして兼好法師は

「どんなちいさなことでも、先輩や案内人があってほしいものだ」

と言っているのです。

試験に合格できない最大の理由はモチベーションの維持というが、モチベーションは受験すると決めたらかなり高いレベルで維持できると思っている。

それよりも来年は長男の受験や嫁さんの会社昇格試験もあり、子供3人いて特に小さい長女の面倒も見なければならない中、とてもではないが時間を確保できる自信がない。

業務も休日出勤しなければならない場合もあり、何を犠牲にしなければならないのかを決めなければならない。

どう考えても自分は長男の受験と嫁さんの会社昇級試験のフォローのため休日は長女の面倒を見るのは必須のような気がしてならない。それに加えて長男の受験もバックアップしなければならない。

一方で子供に対しても自分に課題を課して頑張る姿を見せたいと思うところもあるし、正直、この時代、自己研鑽を続けなければ変化についていけない。

技術士の資格試験を通じて学習できる範囲もあるが、業務で必要な知識や経験は幅広く、自己啓発は必須である。

またリベラルアーツが叫ばれる複雑化した現代社会では幅広い知識を身につけ、異なる考え方やアプローチ方法が理解できるような総合力が必要とされており、特に読書を通じて様々な学問領域を積極的に学びたいと考えている。

なんでもかんでもではだめなのだろうが、技術士の資格試験は視野を広くしてくれるため受験はしたいと考えている。

外部セミナーでも何でも、何かしらの先達を得てとにかく家族と相談して受験する方向にしたいが。