日誌

長女の日誌をたまに嫁さんに書くよう依頼を受け、書くのだが、これがうまく書けない。

気の利いたことが書けないので保育園の先生もどう思っているのだろうと思ってしまう。

長女は最近、女の子言葉というのだろうか。女の子っぽいしゃべり方で話すようになってきた。甘えた調子で声をかけたりイントネーションも少しトーンが変わってきたような気がする。

ますます最近は何でも自分でやりたがる傾向があって、粉薬と飲み薬を自分で混ぜて飲んだり、歯磨きも自分でしたがる。

家に帰るとスーツを脱がしたり色々と手伝ってくれる。女の子は気がきくしよく周りがみえてるなと感じる。

3歳の長女を見ていると、長男や次男の3歳はどうだったかと回想する。

覚えているのだが、その時の表情やしぐさ、会話などは過去に忘れ去られていく。歴史が上書きされていくようで子供のまさにその年月での笑顔や表情は今しか見えないのだと思うと切実な思いになる。

そういう意味で日誌はその日の記録を残すものだ。

自分の親だって子供と同じように歴史は上書きされているのだろうが。3月に一度仕事の関係で実家に寄れそうなので、両親にも会えるのが楽しみだ。

歴史が上書きという表現がよくない。刻むということだろう。そのくらい、会うその日、時間を全うして大事にすべき、ということだろう。

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この記事を書いた人

会社員。技術職。3児の父、共働き、単身赴任2年目。
技術士取得を目指す。
趣味は釣り、音楽鑑賞、読書、スポーツ(特に野球、サッカー、卓球、アメフト)、筋トレ、ブログ。
日常のたわごとから家族のこと、仕事のこと、書評、そして好きな音楽を紹介します。

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