人間の能力にはそれほど大きな差があるわけではない。いわば100mを14秒で走るか16秒で走るか程度の差でしかないのではないか。にもかかわらず、小さな差をことさらに取り上げて、「あいつはできる、こいつはできない」と評価をつけたがるのはどうかと思う。

低く評価された人のモチベーションを下げるだけである。

一般的な会社での業務に、普通の能力がある人にできないほど難しいものはほとんどない。仕事の「適切なやり方」さえ教え込めば、多少能力的に劣っていたとしても立派な戦力となりうる。人を育てられるかどうか。それは、ひとえに上司の熱意と指導法にかかっているといっても過言ではない。

人は変わるものであると言ったのは土光敏夫さんである。

「ひとたび、才能はコレコレ、性格はシカジカと評価してしまうと、終生それがついてまわるものである。このような発想には根本に人間不信感があるのだが、たとい不信感を与えた事実があったとしても、人間は変わり得るという信念を欠かさない点が大事だ。人によっては、失敗や不行跡を契機として転身することもあるし、旧弊をかなぐりすて翻然と悟ることだってある。とにかく、人間は変わるという一事を忘れてはなるまい」

ある時期に、「仕事ができない」とみなされていた人が、何かのきっかけで適切なやり方を身に付けたとたんに化けるというのはよくあることだ。上司がその可能性をつぶすようなことはあってはならない。

それに少し遅れ気味の人を育てようとするリーダーのいる職場は、おしなべて士気が高いものだ。なぜなら「このリーダーは、何があっても自分たちを見捨てない」という信頼感をメンバー全員が共有するからだ。そしてメンバー同士が競争するのではなく、お互いに支え合って職場全体で成果を勝ち取ろうとする雰囲気が生まれる。

部下を育てるのと同じくらい重要なことは、組織の中でシナジー効果を出すこと、組織としての成果を最大にすることなのだ。

だから上司が真っ先に手をかけなければならないのは、弱い人であり、曲がった人である。彼らはそれが習い性になっているのである。そういう習い性、いわばクセは直すことができる。自分のクセに気が付き、それが自分にとって大きなマイナスだということに気が付けば、人は直そうと努力するものだ。

土光さんはこうも言っている

「会社で働くなら知恵を出せ。知恵のない者は汗を流せ。汗もでない者は静かに去っていけ」

報いるべきは、頑張っている者たちである。悪貨は良貨を駆逐するという事態を許してはならない。